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友よ 星の数だけ 幸せを
月光荘のこだわり〈絵の具編〉
〜本物を作りたいという志〜
 月光荘創業当時の20世紀初頭、日本の洋画界はフランスに追いつき追い越せという時代で、画材と言えばフランスのものに頼るしかなく、お店では輸入した絵の具を販売していました。輸入といえばその頃は船便だったので手元に届くまでに最低でも2ヶ月はかかり、高額なのはもとより、画家たちが使いたいときに欲しい色が無かったりと、絵の具は決して簡単に手に入れられるものではありませんでした。 その頃の日本にはヨーロッパから輸入した染粉を使ったものがあるだけで、顔料で作られた輸入絵の具とは比べものにならないクオリティでした。
 月光荘創業者・橋本兵蔵はそんな状況の下、画家たちが喜ぶような純国産の色鮮やかな本物の絵の具を作らなければいけないという思いに駆られ、その使命を全うすべく自ら絵の具の開発に取り掛かかりました。
〜純国産油絵の具の開発〜
 兵蔵が最初に着手したのが「コバルトブルー」の絵の具の開発です。絵の具の顔料は、原料となる鉱物を高温で焼いて、そこから抽出した成分をもとに作ります。兵蔵は専門知識があるわけでもないので、ありとあらゆる専門書を片っ端から読み、どのようにしたら原料の鉱物から青色コバルトの成分を取り出すことができるのか、手探り状態の中で実験を繰り返していきました。川底の石(鉱物)をさらって、砕いては焼き、また砕いての繰り返し。焼く時も、何千度ならどうのような色がでるのか、時間はどうかと試行錯誤の連続でした。そして1940年(昭和15年)、何としても画家たちの役に立ちたいという強い思いからあきらめることなく研究を続けた結果、ついにコバルトブルーの顔料抽出に成功します。たまたま目にした、間欠泉の吹き上がる様子から 突然コバルト成分を取り出す方法を思いついた、といいいます。
 こうして日本ではじめての純国産・油絵の具が完成します。月光荘画材店を創業してから、23年後のことでした。この国産オリジナル絵の具の誕生を喜んだ洋画家の猪熊弦一郎さんは、自ら新聞各社に知らせてまわったといいます。
〜芸術への情熱に支えられて〜
 ところがコバルトは軍や政府が莫大な費用をかけて研究を急いだ物質だったので、軍から「もし本当にコバルトがあるのなら提出せよ」という命令が下りますが、兵蔵はこの軍の申し入れを拒みました。当時の画家たちの絵にかける情熱は大変なもの。まだ画学生だった若き日の宮本三郎さんは、いつも穴のあいた靴で店にやってきたといいます。
 「なぜ新しく靴を買わないのか」と兵蔵がたずねると、「靴を買う金があるくらいなら、絵の具を1本買う」と答えたといいます。
 芸術への情熱がほとばしる時代でした。その頃の日本の状況を考えると、軍の命令に背くというのは相当な覚悟があったはずですが、月光荘は、芸術を渇望するそんな画家たちの存在に支えられていました。
〜絵の具開発の歩み〜
そして、戦後も絵の具の開発研究は続けられ、1948年:S.O.S.(ペースト状速乾剤)を発明、1952年:チタンホワイトの製造に成功、1960年: 「月光荘ピンク」と呼ばれるCobalt Violet Gekkoso Pink(コバルト・バイオレット・ピンク)を発明。
※この月光荘ピンクは、1971年の世界絵の具コンクールで1位を受賞、ル・モンド紙に「フランス以外の国で生まれた奇跡」と評価をいただきました。